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2025年6月21日 (土)

「マーキュリー通信」no.5814【強運に恵まれた私の人生-19「プラザ合意で超円高!」】


プラザ合意は昭和60年(1985年)9月のことでした。
それまで1ドル240円程度だったドル相場が150円台へと一気に円高となりました。
超円高は輸出産業にとって大打撃でした。
超円高を克服するため、工場の海外移転が急速に進み、国内産業は空洞化していきました。
この頃、グローバリゼーションの進展が進み、世界経済のグローバル化が進んでいきました。
今想うと、これはまさにグローバリストであるディープステートが仕掛けたことだと理解できます。

さて、私が帰国したのが1984年5月ですから、1米ドルは240~250円台でした。
車と家具を売って米ドルで1万ドル程度になりました。
円に換金すると240~250万円になったわけです。これがプラザ合意以降に帰国した物産マンは、手取りが100万円も減ったわけです。その意味で私は超ラッキーでした。

当時、日本車がカナダで超人気でした。
1台目はトヨタ ターセルを6500カナダドル程度で購入しました。3年乗って販売したときの金額が、何と購入時と同じ金額で売れたことに驚きました。
これに対し、私のマイカー、シボレー マリブークラシックランドー(3900cc)の高級車は13,000カナダドルで購入しましたが、手放したときは半値でした。私の好みはシボレーでしたが、カナダ人には小型のトヨタ人気でした。

8ヶ月前に購入した家具は8掛け程度で売れました。
5年使用した高級ステレオは、購入時の価格は10万円でした。
同マンションのガードマンが目をつけていて、10万円で是非欲しいと言ってきたので譲りました。

日本なら、車や家具、電気製品はかなり安くなるのですが、カナダ人はモノを大切にする慣習があるので、中古品でも内容をチェックした上で、正当に評価してくれます。それもラッキーでした。

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