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2025年6月24日 (火)

「マーキュリー通信」no.5817【知らぬが佛と知ってる佛-72「浦島伝説は本当だった!」】


今年4月末に逝去された田中 英道先生は、日本の歴史の第1人者でした。
同先生の「浦島伝説とユダヤ - 山幸彦が紡ぐ海洋国家日本の古代史 - (p.32). 株式会社ワニブックス」も遺作の1つです。
また、ユダヤに関しても詳しく、「同化ユダヤ人の日本への素晴らしい貢献」(文芸社)でも書き、ユダヤ人にも造詣の深い学者です。
なお、現在世界を支配しているディープステートは、ハザールユダヤでありエセユダヤです。

さて、田中先生は、竜宮の語源は琉球と同じと説きます。
琉球地域にはユダヤと似た語源が多数存在します。

八重山諸島の「八重」は神を意味する「ヤーヴェ」です。

ユダヤ人は、東方の島国日本列島を目指して、東進してきました。
そして、沖縄諸島の最西端の与那国島にたどり着きます。
沖縄諸島から九州に上陸し、東進を続けます。
そこから様々な伝説が生まれていきます。
田中先生は、日本書紀、古事記を素に神話の世界を読み解きます。

その1つが、海幸彦、山幸彦の伝説です。
浦島伝説の大元である山幸彦と海幸彦の神話では、海神の宮、つまり龍宮は、幻想的な海中などではなく、現実的な島の陸上にありました。
 茨城の鹿島には鹿島神宮があります。高天原はこの辺りにあると田中先生は推論します。
鹿島から天孫降臨したニニギの子である山幸彦は、海に出て日本列島の南海へと進みました。たどり着いた先が琉球諸島でした。
なお、鹿島という漢字の間に児がはいり、鹿児島となります。つまり鹿児島は鹿島の子ということになります。
 琉球諸島のとある島に海神の宮=龍宮と田中先生は推測します。
その時代には、渡来したユダヤ人がすでに住み着いていました。
それがユダヤからやってきた海幸彦と推論します。

そこから浦島太郎伝説となります。
兄の海幸彦に、弟の山幸彦は、道具の交換を提案します。
釣り道具を手に入れた山幸彦は、釣り針をなくしてしまいます。
それを探しに、山幸彦は、竜宮城に行きます。
山幸彦=浦島太郎となります。
そこで乙姫様に接待され、鯛やヒラメの舞い踊りを時間を忘れて楽しみます。
いよいよ帰るとき、乙姫様から玉手箱を渡されます。ただし、絶対開けてはいけないと注意されます。

亀に乗って、竜宮城から浜に戻った浦島太郎、竜宮城の滞在は数日間と思っていたら、数10年と気づきます。
村には太郎の知っている人は既にいません。戸惑う太郎。
その時、お土産にもらった玉手箱を開けたくなります。
絶対開けてはいけないと乙姫様からきつく言われます。
しかし、そう言われたら言われるほどその禁を破りたくなるのが人間の性です。
そして、その誘惑に勝てずに、とうとう玉手箱を開けてしまいます。
すると白い煙が出てきて、太郎はその瞬間白髪の老人に変わるという有名な童話となります。

田中先生は、その他「やはり義経はチンギスハーンだった」(文芸社)を執筆しました。
この伝説は私も知っていました。しかし、歴史学者として第1人者の田中先生が、資料を基に解説しているので、信じるに至りました。

田中先生は、日本の歴史のこれまでの常識を破ることにさまざまな執筆と言論活動をしてきました。
動画配信からも多数学びました。

今朝の「マーキュリー通信」は、故人を偲んで書きました。

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