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2025年8月 3日 (日)

「マーキュリー通信」no.5858【強運に恵まれた私の人生-24「早期優遇退職制度を利用して25年勤務した三井物産を退職」】


私自身の人生はこれまで世界的大事件、出来事、取り決め、日本国内での各種出来事等に大きく影響されてきたことを「マーキュリー通信」で都度書いてきました。
極めつけは早期優遇退職制度でした。

高度成長期の昭和47年(1972年)に三井物産に入社しました。
高度成長期の頃、日本企業は、大量の新人を採用していた時期でした。
団塊の世代の私はその波に乗ることができ、三井物産でも300人以上の新卒採用をしました。

しかし、翌年第1次石油ショックが発生し、日本の景気は一気に悪化します。
三井物産でも新卒採用を一気に減らします。
昭和50年入社組は半分以下の150名に絞り込みました。

さて、団塊の世代が管理職の年代になる頃、バブル崩壊で日本企業は未曾有の不況に襲われます。
三井物産を始め大手総合商社も会社業績は急速に悪化。総合商社の下位にあった日商岩井、ニチメンは合併、トーメンは豊田通用に吸収合併、伊藤忠、丸紅は経営危機の噂が業界を駆け巡りました。

三井物産でも団塊の世代向けの管理職ポストが圧倒的に不足しました。
そこで、団塊の世代に絞り、早期優遇退職制度を発表しました。
この制度は、当時三菱商事と並び、日本企業では一番恵まれていました。
違いは、三菱商事が一時金で一括支給、これに対し三井物産は60歳の定年までつなぎ年金として支給するという制度でした。
何も働かなくても現役時代の年収の7掛けを頂けるわけですから願ったり叶ったりの制度でした。

当時、私は東京電力と三菱商事、日産自動車他との共同出資会社TTNET(東京通信ネットワーク)に出向していました。
三井物産も主要株主の1社でしたが、同社はの経営は全て東電スタイルでした。

私が創業した㈱もしもしホットラインとは全て真逆、官僚体質の会社でした。
営業担当の役員がたまたま一橋大学の先輩でした。
同社に出向時、同常務から、「見ざる言わざる聴かざるの内、見ても、聴いても良い。しかし、何か言ったら君の首が飛ぶからね!」と忠告されました。

いざ出向してみると、東電から出向してきた社員の働きぶりにびっくりしました。
机の上にポルノ写真を貼って、それを眺めながら仕事?をしている社員がいたので注意しました。すると「菅谷さんは、社員の自由を奪うのか!」と逆ギレしました。

別の社員は、ほとんど社内にいて、たばこを吸うか雑談をしていて、営業に出かけません。彼に、「少しは営業に出かけたら」と注意しました。すると彼は「俺はこんな会社に来たくてきたわけではない。もし俺のことを気に入らなければ、直ぐに東電に返すように言って欲しい」と開き直りました。

これがお役所体質なのかと呆れました。
同社には3年3ヶ月いました。
そろそろ出向期間が解けて、本社に帰る時期となりました。
しかし、当時の情報産業部門は、これといった新規事業がなく、次の出向先は、CATV会社か、TTNETのような他の電力会社との共同出資会社しかありませんでした。

その頃、早期優遇退職制度が発表されたので、私は迷わず退職願を出しました。
丁度もしもしホットラインを創業して10年目のことでした。

一方、早期退職の1年半前頃、異業種交流会で野村證券ニューヨーク支店勤務のY氏がニュースキンビジネスの事業説明会をしました。
ニュースキンビジネスに関心を持った私は即ディストリビューター(会員)登録しました。TTNETでは残業がなかったので丁度良いタイミングでした。
ニュースキンビジネスはネットワークビジネスの手法をとり、私には初めての経験でした。
当時、ネットワークビジネス全盛期の時代で、日本市場は3.6兆円、米国を抜き世界1位のネットワークビジネス大国でした。母校一橋大学でもネットワークマーケティングが授業として採り上げられていました。一橋大学野中郁次郎名誉教授が日経ビジネス社から「ネットワークビジネスの研究」という本を出版していました。同名誉教授は、三井物産の元取締役でもありました。これも縁と感じました。

私は、初めて経験するネットワークビジネスの面白さにはまりました。
三井物産、もしもしホットライン、異業種交流会で出会った人に、「今度ニュースキンというネットワークビジネスを始めたんだけど、サプリメントとスキンケアを扱っている。一緒にビジネスをやりませんか?」と次から次へと電話して、10人中8~9人がOKしました。4ヶ月で月収20万円をとるようになり、3年でトップディストリビューターに昇格しました。

しかし、ニュースキンジャパンの業績は、開業6年目に854億円の年商を上げましたが、それ以降売上が下がっていきました。
そこで私はニュースキンビジネスからの撤退を決めました。その後、ニュースキンジャパンの売上は右肩下がりとなり、現在300億円程度にまで落ち込んでいます。私の決断は正しかったと言えます。
なお、ニュースキンビジネスに関わることで、予防医学の重要性に気づきました。ニュースキンビジネスを辞めてからも、予防医学を徹底してきたおかげで、現在の健康体に繋がっています。

一方、もしもしホットラインの創業経験を活かし、2002年1月15日世界最小の総合商社(有)マーキュリー物産を設立しました。
また、経営コンサルタントとしても、18社に数千万円を投資し、上場企業も輩出しました。

しかし、これだけ恵まれた早期優遇制度にも拘わらず、大半の物産マンは、三井物産という金看板にしがみつき、制度を利用しませんでした。
あれから28年経ちますが、私の決断は大正解だったと実感しています。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

野村證券ニューヨーク支店勤務のY氏は、先月の参院選で参政党から出馬し、見事当選しました。
これも時代の流れと言えます。

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