「マーキュリー通信」no.6253【奇人変人が世の中を変える!-599「鳴かぬなら生きよそのままホトトギス」】
「マーキュリー通信」no.6253【奇人変人が世の中を変える!-599「鳴かぬなら生きよそのままホトトギス」】
織田信長は「鳴かぬなら殺してしまうぞホトトギス」と謡いましたが、弟織田有楽斎(うらくさい)は、「鳴かぬなら生きよそのままホトトギス」と謡ったそうです。
信長より13歳年下の有楽斎は、信長は、兄というより親のような存在だったそうです。
本能寺の変の時、有楽斎は、信長の息子信忠に対し、「本能寺に行ってはいけない。100%殺される。だから一緒に逃げよう!」と説得しました。
しかし、信忠は、逃げるのは武士の名誉に関わると言って、信長の元にはせ参じ、殺されてしまいました。
もし、信忠が逃げていれば、信長政権は続いており、秀吉や家康の天下取りはなく、日本の歴史は変わっていました。
その後、有楽斎は家康に担がれ、小牧長久手の戦いで秀吉と戦います。
勝ち目がないと判断した有楽斎は、家康に降伏を進言し、秀吉の勝利となります。
もし、家康が降伏を受けなければ、そのまま戦死していたわけで、徳川時代はなかったことになります。
秀吉亡き後、家康は征夷大将軍となり、徳川の天下となります。
そして、豊臣家を亡ぼそうとします。
その時、有楽斎は、自分の姪である淀君に豊臣の血筋を絶やさないために、秀頼が家康の家臣となり地方大名として生き延びることを奨めます。
しかし、武士の誉を重んじた淀君、秀頼は大阪の陣で家康に負け、豊臣家は滅亡します。
有楽斎は、兄信長が名誉の死より天下取りを優先していたことを知っていた。だから死んだら何も残らない。とにかく生きることが大切と肝に銘じます。
有楽斎は、武士としては活躍しませんでした。しかし、茶の湯他文化人としては超一流の名を馳せています。
有楽斎は、自由人として生き、75歳まで長生きしました。
彼の自由とは、心の自由です。それを見事茶道で体現しました。
有楽斎の名前は、現代では有楽町の地名として残っています。
◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆
いよいよ総選挙に突入しました。
私は、マスコミのニュースを信用していないので、TVは見ません。
唯一自動録画された日経モーニングサテライトを見ますが、ここでも偏向報道が多いです。
特にトランプ大統領や高市首相に関する報道は偏っています。
私なら、高市政権は、これまでの左翼リベラルの岸田、石破政権から保守の高市政権への政権交代と認識します。
これまでの政権は日本の安全保障を軽視してきた。
しかし、核兵器を持つ中露、北朝鮮の軍事的脅威は増している。
さらに米国の国防政策が、南北大陸にシフトしている。その一環として石油利権確保の為、汚職まみれのベネズエラ政権を打倒した。
よって、今後のアジア戦略は、米国中心から日韓にシフトしていくことになる。日本にはその中核的存在になって欲しい。
だから核武装も含めた国防を真剣に国民と共に考え、対米従属から対米自立路線を歩んでいきたい。
それと共に物価高対策も含めた景気浮揚策を最優先課題として今後の政権運営をしていきたい。そのための審判を国民に問う。そういう報道をして欲しいと思います。
そのために、国民の為の政治を放棄してきた、利権まみれの左翼リベラル、親中代議士が一掃されることを切望します。
私はそのような自民党に変わって欲しいと願っています。
それが自民党離れした保守国民層の願いと思っています。
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