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2026年8月 2日 (日)

「マーキュリー通信」no.6234【ワンポイントアップの開運力-75「当たって、砕けろ!の精神」】

「マーキュリー通信」no.6234【ワンポイントアップの開運力-75「当たって、砕けろ!の精神」】
57年前の本日8月2日は私にとってメモリアルデイです。
朝日洋上大学の洋大生の一員として、400人乗りの貨客船に乗って、竹芝桟橋から出発した日でした。
朝夕の新聞配達を1年間すると、そのご褒美として船上で米国の歴史、政治、経済、文化を学びます。
途中ハワイ(オアフ島)に寄港し、米国西海岸に停泊し、サンフランシスコ、ロサンジェルスを訪ねました。
ディズニーランドにも行きました。初めて観るディズニーランドはまさに夢の世界でした。
帰路は途中ハワイ島に立ち寄り、帰国する37日間コースでした。

1年間の朝夕の新聞配達は初めてのことです。
朝4時起きして1年間新聞配達ができるのか不安でした。
しかし、米国に行けるという夢を抱き、「当たって、砕けろ!の精神」で1年間朝夕の新聞配達をやり抜きました。
1年間の朝夕の新聞配達は艱難辛苦の連続でした。当時、自転車はもちろん電動ではありません。
冬の早朝は真っ暗です。
暗闇から突然犬が吠えかかってきました。
私が配達した調布市では工事現場多かったです。
暗闇の中、工事現場の穴に落ちたこともありました。
雨風、台風でも配達しました。
その年1970年4月は異常気象の年で、4月に大雪が2回もありました。
大雪には自転車に乗れません。朝6時から雪の中を歩きながら一軒ずつポストに新聞を入れていきました。新聞配達が終わるのが12時を過ぎていました。
楽しいこともありました。夕刊配達の時、小学校1年生の里子ちゃんが笑顔で出迎えてくれました。
当時はマンションはなく、2階建てのアパートがたくさんありました。
そのアパートの階段を駆け上がり、2階の部屋のポストに神業のごとく新聞を入れていきました。
毎朝2時間と夕方1時間15分の新聞配達は、フィットネスクラブに行ったことと同じ事になります。
そのおかげで、当時が私の人生で一番健康な時期でした。

そして1年間朝夕新聞配達をやり抜いたことへの自信、心身共に鍛えられた1年でした。
洋大生は、同じ釜の飯を食う仲として、陸に上がってからも親交があり、洋大生同志のカップルが10組ほど誕生しました。

当時20歳の私でしたが、文字通り20歳の青春を謳歌しました。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

私が新聞配達を始めたのが、昭和43年12月10日(1968年)の夕刊からでした。
夕刊を自転車にセットしようとしたら大事件発生です。
当日午前9時20分頃東京都府中市(府中刑務所裏の路上)で3億円を積んだ現金輸送車が盗まれるという大事件の発生でした。
同事件は迷宮入りとなりました。
会社は給料をそれまで封筒に入れて社員に渡していましたが、この大事件を機に、振込に変わっていきました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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