「マーキュリー通信」no.6304【菅谷家のルーツを探訪する中茨城の旅】
菅谷という名前は意外と珍しく、人生の途上で菅谷姓に出逢ったことはわずか2名しかいません。
茨城県に菅谷駅があることを知っていたので、いずれは訪ねてみたいと思っていました。
そこで1歳年下で、今年和暦で喜寿の妹と2人、ダブル喜寿の兄妹で6~7日菅谷家のルーツを探訪する中茨城の旅に出かけました。
今回初めてAI(Claude、GEMINIノートブック)の協力を得て、詳細な事前情報を得てから、旅に出かけました。
AIの情報収集能力の凄さに感謝する一方、やはり人間の感性の重要性も認識した旅でした。
菅谷駅は、全国の鉄道駅名としては珍しく、上中下の菅谷駅があります。
水戸駅から水郡線で12分の場所に、無人駅の下菅谷駅があります。そこで下車して1時間程徒歩で無人駅中菅谷駅を訪ね、最後に上菅谷駅に辿りつきました。
※GEMINIで検索すると、上・中・下が揃う駅名としては、東武東上線の板橋駅と名鉄犬山線(愛知県)の小田井駅があるそうです。
上菅谷駅は以前菅谷村の中心駅でしたが、平成の市町村の大合併で今は人口5万人の那珂市の主要地域となっています。
上菅谷駅から、タクシーで15分ほど乗って、那珂市歴史民俗資料館を訪ねました。
タクシーの運転手は、10年ほど前に上菅谷駅付近に引っ越してきたそうです。
水戸までわざわざ出かけなくても、日常の買い物は全て手に入るそうです。
交通渋滞はなく、都会の喧噪もなく、静かに落ち着いて暮らすことができるのでとても気に入っているそうです。
土地代の坪単価は10~12万円程度なので、マイホームは簡単に手に入るそうです。
ただし、車は必需品だそうです。
首都圏の痛勤地獄から逃れ、落ち着いて暮らすには良い場所のようです。
那珂市歴史民俗資料館には、事前に用件を伝えてあったので、親切な対応をして頂けました。
戦国時代、大名の佐竹一族が支配していましたが、菅谷家もその配下として栄えていたようです。
そのルーツは、縄文時代まで遡るそうです。歴史民俗資料館には、縄文時代や弥生時代の土器、石器等多数の生活用具が展示されていました。
ただし、菅谷姓は全国に多数分散するので、私の祖先が那珂市にあるかどうか不明です。
30年前に別途購入した菅谷家家系図によると、菅谷家の祖先は、本能寺の変で主君信長と共に自刃したと記載されています。
八幡太郎義家にも祖先を持つ家系もあり、その場合、清和源氏がルーツともなります。
一方では、桓武平氏にも辿りつくそうです。
いずれにしろ、その途中の家系を全て正確に把握するのは困難なようです。
後は、資料館で購入した菅谷に関する書籍で、じっくりと研究したいと思います。
読者の皆さんの中には珍しい姓の人もいると思います。
AIに祖先を検索してもらい、祖先が栄えた地を探訪するのも熟年世代には楽しい旅となります。
◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆
今回の旅で一番感動したのが、前日宿泊した茨城県大洗海岸前にある大洗ホテルAnnex 魚来庵から見た日の出でした。
日の出時間が5時35分だったので、5時頃に現地に行くと、日の出ご来光に多数の人が来ていました。外国人も多数いました。ホテルの目の前にあるので、私は一番良い場所を確保できました。これもClaudeが懇切丁寧にアドバイスしてくれたおかげです。
一方、1日目で一番期待した香取神宮、鹿島神宮は、期待外れでした。
その代わり、小冊子で見つけた香取神宮がある佐原周辺マップを急遽レンタサイクルで回りました。
小野川で舟の川下りで佐原の歴史を学びました。
江戸時代、小野川の商人は、佐原の農産物を江戸に運びました。帰りの舟には、江戸で様々な物資を運び、巨万の富を得ました。
佐原に、三菱銀行が関東で2番目の支店を開設しました。小さな寒村に三菱銀行が支店を開くことは例外中の例外でした。
同店は、現在国の文化財に指定され、保護されています。
小野川は川縁の商店街も含め、文化遺産として当時の面影を偲ばせています。
小野川は伊能忠敬の生誕の地であり、旧家が文化財として保存されていました。
さらには記念館もできて、伊能忠敬の業績を伝えています。
当時、足で全国行脚しましたが、彼の作成した全国日本地図の正確さに敬服します。
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