1ポイントアップの開運力

運の良い人生を送るヒントを筆者の経験を基に紹介します

2024年9月15日 (日)

「マーキュリー通信」no.5496【強運に恵まれた私の人生-3「人生初めての挫折 高校受験失敗」】


調布中学3年生の時、担任の先生から「菅谷君、君なら立川高校合格間違いなし」と言われ、当時三多摩最難関の立川高校を受験しました。

しかし、両親を失った私は実家に預けられました。
実家は調布の自転車店。伯父さんの考えは、商人に学問は不要という家風でした。
夜は家族で花札をやっているような家でした。

また、学校から帰ると、親戚の伯父さんから奨められて、日本通運の荷物配達(今でいうペリカン便)をしていました。
その頃、ビートルズが日本でも大ヒットしました。
私はアルバイトで稼いだお金で、ビートルズのレコード(シングル盤)を買うのが楽しみでした。
荷物配達が終わると、ビートルズの歌を聴くのが楽しみでした。

一方、その年は東京オリンピックの年でした。
私が通う調布中学は、新甲州街道の近くにあり、マラソンの折り返し地点でした。
全校上げてマラソンを観に行きました。

さて、私は立川高校を1点差で不合格でした。

その報せを聞いて、国語のF先生が私のところに来て、土下座して謝りました。
「君は立川高校に絶対受かると思い、他の生徒を5にして、君を4にした」と涙ながら訴えてきました。

当時、美濃部都政が実施した学校群制度の実施前だったので、私立高校の受験生が滑り止めで受けていた都立神代高校に枠が空いたので、そちらに回されることが決まりました。

編入の手続きを受ける日が、国語の期末テストでした。
F先生の所に行き事情を説明し、試験を受けなくても良いことになりました。
3学期の国語の通信簿は、無試験にも拘わらず、5に戻っていました。

今を振り返ると却って良かったと思っています。
私の性格から、もし合格していたら有頂天となり、天狗になっていたかも知れません。

その意味で、子供の頃に挫折をしていて良かったと思います。
なお、中学生の時にビートルズの歌を歌いまくっていたので、私の英語の発音は日本人にしては良い方といえます。また、ビートルズのおかげで英語は得意科目となりました。

この挫折が後々私の開運の原動力となっていきます。

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2024年9月14日 (土)

「マーキュリー通信」no.5495【ワンポイントアップの開運力-6「行動することで運が開ける」】


自己実現セミナーに参加する人は多数います。
また、多くの成功本も出版されています。
しかし、その内容を実践する人はわずか8%と言われています。

40年近く前に、「戦略行動学」という自己実現セミナーを受講しました。受講料は8~9万円でした。
その教えの骨子を今でも机の上に置いていつでも見えるようにしています。
1.精神的姿勢:
(1)主体性:自分で主体的にやる姿勢
(2)現状打破:いつも進歩発展を目指す姿勢
(3)協調性:他人の利益も図る姿勢

2.思考方法
(1)簡略思考:中心、骨組みで考える習慣
(2)対比思考:両面、主流で考える習慣
(3)多角度思考:立場、観点を整理し、多角度から考える習慣
(4)客観思考:確定的要素から出発して考える習慣
(5)具体思考:行動の繋がりで具体的に考える習慣

3.実際知識
(1)連係知識:知った知識は直ぐに使う習慣
(2)情報収集:たくさんの物事に首を突っ込む習慣
(3)人的ネットワーク:たくさんの人と付き合う習慣

あれから40年近くが経ち、戦略行動学の教えに学び行動してきたので、今ではすっかり身に付いています。

一方、30年近く前に世界的ベストセラー書「7つの習慣」(スティーブン・コヴィー著)を読みました。
1つ目の習慣:主体性を発揮する
2つ目の習慣:目的を持って始める
3つ目の習慣:重要事項を優先する
4つ目の習慣:Win-Winを考える
5つ目の習慣:理解してから理解される
6つ目の習慣:相乗効果を発揮する
7つ目の習慣:刃を研ぐ


「7つの習慣」は、戦略行動学とも密接に関連しているので、「7つの習慣」は体に染みついています。

「戦略行動学」と「7つの習慣」を実践してきたおかげで、私の開運力は格段にアップし、今でも開運上昇中です。

メルマガ「マーキュリー通信」でまとまったらいずれ「開運力10倍アップの極意」を電子出版する予定です。

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2024年9月13日 (金)

「マーキュリー通信」no.5494【強運に恵まれた私の人生-2「母が5歳の時に他界、翌年父が家出。飢え死にから救出してくれた祖母」】


会社が倒産後、父はすっかりやる気をなくし、仕事をしませんでした。

調布市の6畳一間の先に1畳の縁側がありました。
父はそこで終日競輪新聞片手に、競輪の予想に夢中になっていました。
私の父親のイメージは、赤青の2色の鉛筆を耳につけながら、競輪新聞に取り組んでいる姿でした。

当然家計は火の車。母は、質屋通いをしていたことでしょう。
心労が積み重なり、母は私が5歳の時、悪性貧血で他界しました。

その翌年、父は一つ年下の妹を置いて家出してしまいました。

幸い実家の祖母が孫に会いに来たときに、私を発見しました。
もし、調布に引っ越さずに、目黒区に住んでいたら、私と妹は飢え死にしていたことでしょう。

その意味で、私は強運だったし、祖母には感謝しています。
その後、私と妹は祖母が母親代わりに育ててくれました。
祖母のことを思い出すと、今でも涙がこみ上げてきます。

祖母と一緒に撮った写真があります。
その時の祖母は60歳でした。白髪頭としわで、まさにおばあちゃんといった感じでした。
今は60歳の女性はまだまだ若いです。人生100年時代を感じます。


◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

母との思い出がほとんどない私の弱点があります。

ドラマで、母親が子供に愛情を与えるシーンを観ると自然と涙腺が緩みます。

それを横で見ている妻が毎回からかいます。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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2024年9月 8日 (日)

「マーキュリー通信」no.5489【強運に恵まれた私の人生-1「助からないと言われたハシカを救ってくれた祖父」】


私が産まれて4分の3世紀が経ちますが、実に強運に恵まれた人生だったといえます。
世界及び日本の政治経済社会の事件等に大きく影響を受けた人生でもあります。
それをメルマガで紹介させて頂きます。

私は昭和24年5月、東京都目黒区祐天寺で菅谷家の長男として産まれました。

私が1歳の時、父は株で騙され、稼業の瀬戸物問屋は倒産します。
家財を売り払い、母方の実家が調布にあるので、そちらの空き地に6畳一間の家を建て、そこに住むことになりました。
その頃、私はハシカにかかります。
貧乏な菅谷家では、医者にかかるお金がありません。
そのまま病死するところでした。

しかし、祖父がそのことを知り、近くの小児科厚谷医院にかかるよう指示します。
もし、その時、祖父が治療費を出していなければ、私は助からなかったわけです。

その意味で祖父には感謝しています。
残念ながら、祖父は65歳で他界してしまったため、祖父の顔は遺影でしか分かりません。
65歳にしては頭がはげ上がっており、サザエさんのお父さん波平さんのような感じです。

私は墓参りに行ったとき、墓前で必ず祖父に感謝の気持ちを伝えます。

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2024年9月 2日 (月)

「マーキュリー通信」no.5482【ワンポイントアップの開運力-5「小説 運転者から学ぶ」】


朝6読書会で紹介された「小説 運転者から学ぶ」(喜多川泰 著)を読みました。

運転者とは、運を転じる者、あなたの運を良くする者という意味です。
本書には、運転者としてタクシードライバー岡田が登場します。
そして、この運転手のおかげで人生が劇的に変わった修一が登場します。

修一は、小さな生命保険会社で働くフルコミッションのサラリーマンです。
営業成績によって毎月の収入が変動するので、彼はいつでもどこでも新規営業開拓に躍起になっています。

そんなある日タクシードライバー岡田と出会います。
岡田は、修一に10万円まで無料で乗れるクーポン券を上げます。ただし、行く先はドライバー任せです。
半信半疑の修一ですが、この話に乗ります。

最初に連れて行かれたところは、愛媛県、タクシーのメーターはかなり上がっています。後3万数千円残っています。
これでは今日中に帰宅するのは無理と分かりました。
修一「なんで、こんな遠いところに俺を連れてきたんだ!こんな所に来て、俺の運が良くなるのか!」と怒ります。

訳が分からず連れてこられて修一は仏頂面です。そこはスナックでした。
小さな店内には客が3名いました。
修一は、早速生保の顧客探しに、店の客と話し始めます。しかし、見込客は見つかりませんでした。

そこで運転手岡田から、「そんな仏頂面ではお客の方から逃げていきますよ」とたしなめられます。
「客のAさんは半端ない人脈を持っていますよ。Aさんに気に入られて、誰かを紹介してもらえれば良かったのに残念でした。しかし、せっかくの縁を活かせず残念でした。」

自分の顔を鏡で見た修一は、確かにこんな仏頂面では相手も心を開いてくれないと悟ります。
「次はもっと客のいそうな場所に連れて行ってよ」

運転手岡田は、また数時間乗って、別の店に連れて行きます。
今度は見込客がいないどころか、蕎麦打ちの話をされます。
そこで修一は岡田に向かって怒りをぶつけます。

岡田「ここからあなたの人生が大きく変わりますよ!」と言います。「だからこの人の蕎麦打ちの話を真剣に聴いてください!」と言われ、修一は仕方なく聴きます。

蕎麦打ちの話を聴いている内に、祖父が戦時中に南方の激戦地で、戦争が終わったら帰国して蕎麦打ち職人に成りたいという話を聴きました。
祖父の夢は実現し、その蕎麦打ち道具は息子(修一の父)へと受け継がれていきます。
修一の父は、サラリーマン人生の限界を感じ、蕎麦打ち職人を引き継ぎます。
その話は息子の修一に話すことなく亡くなっていきました。

暫くご無沙汰していた実家に修一は戻ると確かに父は蕎麦打ち職人に変わっていることを母から聞きました。
修一は、その時はっとします。
自分は生活のために生保の営業マンとして頑張ってきた。
頭の中は生保の客を獲得するしかありませんでした。

そこではっとし、蕎麦打ち職人になろうと思いました。
その気持ちを妻に打ち明けました。最初はびっくりした妻でしたが、修一のストーリーに納得し、生保の営業マンとしてあくせくしている夫より蕎麦職人の修一を応援する気持ちに変わりました。
ただし、今の仕事からいきなり変えることはリスクが高いので、まずは学校に通い、自分が蕎麦打ち職人になれる腕を持っているかを探りました。
学校に通いながら、修一は、祖父の夢が息子、そして孫の自分へと引き継がれている生きがいを覚えました。
そして、修行にも身が入り、無事小さなそば屋を開店することができました。

そば屋の収入はまだまだこれからです。しかし、修一はより美味しい蕎麦を作り、お客様から「うまい!」と喜んでもらえることに生きがいを感じるようになりました。

そして、自分の運命を変えてくれた運転者に感謝しています。

名作「小説 運転者」のエッセンスをお伝えしました。
本書を読み込んで、あなたの人生を変える運転者が登場するかも知れません。

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2024年8月31日 (土)

「マーキュリー通信」no.5479【ワンポイントアップの開運力-4「最強運の持ち主渋沢栄一がいたから日本的資本主義が発達した」】


私が常連参加している今朝の朝6読書会は、「乃公出でずんば 渋沢栄一伝」(北康利著 角川出版)を私が解説させて頂きました。

乃公(だいこう)とは俺様の意味。「乃公(だいこう)出でずんば」とは「俺がやらねば誰がやる」の意味です。

幕末、明治維新と時代の流れは大きく変わりました。
明治新政府は、富国強兵と殖産興業の2つの国策で欧米列強に追いつき追い越せと必死に国家を運営していました。

しかし、そのためには経済的基盤が必要不可欠です。
明治の元勲といわれた大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允、岩倉具視他は武士、公家の出身です。
よって経済音痴でした。
渋沢栄一は、当時誰も思いつかなかった公債証書の発行を提案し、採用されました。
公債証書とは、今でいう国債です。

そして渋沢栄一は、日本初の民間銀行、第一国立銀行を設立しました。

銀行を通じて渋沢栄一は、次々と会社を創っていきました。

殖産興業には、当時の日本に必要不可欠な鉄鋼、セメント、鉄道、電力、ガス、建設、製紙会社等必要でした。
同時に株式市場をその受け皿として創設しました。
横糸として、東京商工会議所を創り、経営者同士の和を大切にしました。

渋沢栄一の殖産興業の原点は、1867年第2回パリ万博視察にあります。
徳川慶喜は、軍事費調達の為、フランスから資金を借りようとしていました。
そのため、実弟の徳川昭武を団長に任命しましたが、当時若干14歳、その補佐役として渋沢栄一をつけました。

そこで渋沢栄一は、近代資本主義で栄えている欧州を目の当たりしました。
その焼き付いたイメージを素に日本型資本主義、即ち単に金儲けだけでなく、お金は世の中の為に立って、初めて役に立つと考えていました。
これが有名な渋沢栄一の「論語と算盤」です。

さて、若い頃の渋沢栄一は、正義感が強く血気盛ん、直情径行の性格でした。

腐った幕府に憤りを感じ、高崎城乗っ取り計画を企てます。今でいうテロです。
しかし、従兄弟が体を張って制止したため、テロを思いとどまりました。
その後、一橋慶喜の家来、平岡円四郎にその能力を買われ、幕府の家来に変わります。

もし、渋沢栄一が、倒幕に固執していたら、今頃幕府からテロリストとして、暗殺されていたかも知れません。

千載一遇のチャンスをモノにした渋沢栄一の変わり身の速さが、その後の渋沢栄一の人生が大きく変わっていくことになります。

もし、これがなかったら今頃日本は欧米の植民地になっていたかもしれません。

だから新1万円札の顔になるのも当然ですね。いや、遅すぎるくらいと思います。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

朝6読書会は、今朝で丁度600回となりました。
その主催者、中林久氏が、「乃公出でずんば」の精神で、9月23日(月、祝)第1回「日本の自主独立を語る会」を立ち上げます。ゲストスピーカーとして、50万人以上の人氣Youtuber及川幸久出版記念講演会を秋葉原ビジネスセンター4階で行います。
参加費4千円。私もスタッフ参加します。是非一緒に参加しませんか。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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2024年8月30日 (金)

「マーキュリー通信」no.5478【ワンポイントアップの開運力-3「思い込みは運を逃がす」】


私のところにはいろいろな案件が持ち込まれます。基本的には自分のリスクの範囲内なら即断即決です。
熟考してもあまり変わりません。それよりもそれに費やす時間の方が無駄です。

その時、判断材料はこれまでの経験と知恵によります。注意点としては、思い込みです。
そうならないように相手の話には真剣に耳を傾け、理解に努めます。

これをやっても思い込みを100%なくすことはできません。
ただし、相手の話を真摯に聴く姿勢だけは持つようにしています。

以前、大麻系のネットワークビジネスを持ってきた人がいて、セミナー会場にも行って、真剣に聴きました。
私はネットワークビジネスに対する思い込みや偏見は一切持っていません。あくまでもビジネスとして取り上げる価値があるかどうかで判断します。しかし、いずれ大麻は日本でも解禁になるので、わざわざネットワークビジネスの手法をとる必要はないとお断りしました。

次にその人は、海外関係のネットワークビジネスの話を持ってきました。せっかくセミナーに参加しても断ることになり、相手の時間も無駄にすることになるので、セミナー参加前からお断りしました。
すると彼女は怒り、私とのつきあいを断絶してきました。

そんな経験があったので、相手の気持ちに立って、人の話に真摯に聴く姿勢の大切さを学びました。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆


人生に勝利する方程式-350【「渋沢栄一伝から学ぶ」】として「マーキュリー通信」を書きました。
しかし、後から読み返したら、開運のヒントが結構盛り込まれていたので、ワンポイントアップの開運力-2に変更しました。
よって、今回の開運力を3とし、次の人生に勝利する方程式は同じ350として再登場しますのでよろしくお願いします。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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2024年8月29日 (木)

【ワンポイントアップの開運力-2「渋沢栄一伝から学ぶ」】


7月3日に1万円札の新しい顔となった渋沢栄一翁ですが、ふだん現金をあまり使わない私なので、一昨日初めて新1万円札を手にしました。

私は、日本の資本主義(合本主義)の父、渋沢栄一翁とは深い縁があります。
私の母校一橋大学を創立していただいた方です。
また、私の古巣、三井物産創業者初代社長益田孝とも親しい間柄でした。
その関係で、一橋大学から多数三井物産に就職し、まさに日本の産業界に数多くの人材を輩出してきました。

また、6年前に北区王子に引っ越してきましたが、旧渋澤邸も王子(飛鳥山)にあります。
現在、北区では、世界の渋沢栄一翁へと区を上げてPR中です。

さて、渋沢栄一翁は、正義感が強く、直情径行の性格でした。
幕府の悪政に我慢ならず、高崎城を攻め落とす計画を立てました。現代風に言えば、テロリストでした。
しかし、従兄弟の猛反対に遭い、計画を断念しました。

そんなテロリストだった、渋沢栄一翁が、水戸藩主一橋慶喜の家来平岡円四郎に認められ一橋家に仕官することになりました。
当時は幕末、新しい人材を一橋慶喜は求めていました。
しかし、いくら幕末とはいえ、テロリストだった渋沢栄一翁を採用する平岡円四郎とその主君慶喜公の度量の大きさに感心します。
その後、平岡円四郎は暗殺され、渋沢栄一翁は慶喜公の直臣となります。ここでも渋沢栄一翁の才能を見抜いた慶喜公の度量の大きさに敬服します。
逆に栄一翁側から見ると、幕府暗殺犯が、敵側に寝返ったわけです。栄一翁の時代を読む力を感じました。

慶喜公は、その後慶応2年(1867年)1月第15代将軍職に任命されます。
当時は薩長と戦争をしている内乱時でした。
にもかかわらず、その頃、パリ万博視察の為、同年第2回パリ万博視察の為、実弟徳川昭武を団長として派遣します。
新将軍としての欧州事情を把握しようとする時代を読む力に脱帽です。
その時、14歳の若者昭武の補佐役として渋沢栄一翁を任命します。他の30名の幕府役人では頭が固いと判断したからでしょう。

同使節団は、1月横浜港出港、3月パリ到着します。
ところがその年の10月大政奉還となり、慶喜公は将軍職を辞します。
そして、明治維新へと時代は大きく変わっていきます。

パリ万博で、渋沢栄一翁は、欧州の産業革命が進み、経済力、軍事力をまざまざと感じます。
学ぶだけでなく、欧州の諸制度を真剣に学びます。

それが近代日本の資本主義の父といわれる素となりました。

明治新政府では、当初は役人として仕官します。
しかし、直属上司井上馨と大久保利通の対立があり、明治6年(1873年)に辞職します。
それから第一国立銀行を始め、次から次へと時代の要請の応え、産業を興し、約600の会社を設立しました。
近代日本の資本主義を資本面で支える証券取引所の創設、そして、まとめ役の東京商工会議所を創設しました。

一方、養育院、日本赤十字社他非営利法人約500社設立しました。
単なる金儲けではなく、非営利の団体の重要性を説きました。
その点が、生涯ライバルとなる三菱財閥を創った岩崎弥太郎との決定的な違いとなります。

当時の明治新政府は、薩長土肥の4藩で占められていました。
渋沢栄一翁のように農民の出身で、しかもテロリストのような人物がなぜ新1万円札になったのでしょうか?

それは公債証書の発行、今でいう国債の発行でした。
公債証書の発行とは、國の借金です。これにより大量の失業浪人の面倒を見ることができました。
その結果、明治4年7月に廃藩置県を断行できました。廃藩置県は、西郷隆盛の最大の貢献ですが、それを支える原資を確保したのは渋沢栄一翁でした。西郷にはその発想がありませんでした。

渋沢栄一翁という偉人を切り口に幕末維新を読み解くとまた別の見方ができます。

さらに詳細は、私が土日に常連参加している朝6読書会(中林久主催)で、「渋沢栄一翁伝」(北康利著 角川)で解説します。
下記URLから参加できますので、皆様のご参加をお待ちしています。
https://us02web.zoom.us/j/88639241948?pwd=ci9iT2MyeGRwNnhWVExnbnNpcWxEQT09

ミーティングID: 886 3924 1948
パスコード: 778899

6時30分?7時半 「渋沢栄一翁伝:を語る

●朝6読書会公式ファンサイト 登壇者履歴
https://asa6dokusho-fun.studio.site/speaker
朝6読書会公式ファンサイト サムネイル
https://asa6dokusho-fun.studio.site

 

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2024年8月27日 (火)

「マーキュリー通信」no.5475【ワンポイントアップの開運力-1「出会った人が運命の人」】


昨日のセミナーでの学びです。

人生の途上で様々な人との出会いがあります。

多くの人は、自分の主観で損得を考え、自分にメリットがあると判断すると、その人と是非会おうとします。

例えば大谷祥平と多くの人は会いたいと思うことでしょう。
しかし、仮に会えたとして、大谷祥平が運命の人になるでしょうか?

運命の人は、大谷祥平のような高嶺の花でなく、あなたの身近にあります。

私は毎朝早朝マンション内を散歩します。
そこでマンションの住民と会います。
大半の人がしかめっ面です。スマホを見ながら歩いている人も多くいます。
その時、私は笑顔で「おはようございます。」と挨拶します。
中には、挨拶さえしない人もいます。

もし、私の笑顔に対し、笑顔で「おはようございます。」と返せば、そこで気持ちが明るくなり、明るい1日のスターとなります。その結果、良い仕事へと繋がっていきます。
大半の人は、しかめっ面で電車に乗り、スマホばかり見て、会社に行くのでしょうか?
会社に着いた途端、仕事モードに切り替えるのでしょうか?
私は営業が長かったので、1日の中、見るモノ、接するモノ、全てのモノを吸収しようとしていました。

たまに歩いていると友人知人と出会います。大半の人が下を向いて歩いているので私の存在に気づきません。
大半が私から声をかけます。そして、再度会いたい人は、後で携帯電話で再会を約束します。

私は人との縁を大切にしています。
人生の途上で出逢い、いろいろな話が持ちかけられたりすることもあります。
まずは人の話を聴いて、良ければやるかやらないかその場で判断します。

多額の投資話なら、じっくりと考えますが、大半はその場で判断すれば良いと思っています。
いくらじっくり考えても、それが100%正しいか判断できないからです。
そして、やってみて良ければ継続するし、自分に合わなければフェイドアウトしていきます。

もちろんいろいろな話は玉石混交です。
多くの経験を積むことにより、玉石を見分ける識別能力ができるようになります。

これをやらない人は、たまたま魔が差したのか、普段投資話に慎重だった人が、儲け話に乗って多額の損失を被り、後悔します。
宗教嫌いの人が、大病し、神にすがる思いで邪教に入信することはよくあることです。
普段、様々な出来事に接することを敬遠していると、まさかの時、正しい判断ができなくなることがよくあります。

もちろん私も過去に損したこともあります。しかし、それは自分自身の魂を磨く材料、砥石と見做しているので後悔はありません。

そういう長年の経験を通じて現在があります。

昨日のセミナーから、今回新しいシリーズ「ワンポイントアップの開運力」がスタートしました。引き続きご愛読よろしくお願いします。

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