「マーキュリー通信」no.6091【強運に恵まれた私の人生-23「ハナマサ小野社長との出会い」】
「マーキュリー通信」no.6091【強運に恵まれた私の人生-23「ハナマサ小野社長との出会い」】
挑戦と冒険の人生を歩んできた私なので、当然多くの失敗もありました。
三井物産を48歳で早期退職後、世界最小の総合商社(有)マーキュリー物産を資本金1000万円で立ちあげました。
当初は順調にいっていました。最大15人の会社まで成長していきました。
しかし、その後事業でつまずき、経営危機に陥り、銀行借り入れの返済ができなくなりました。
その影響で、マーキュリー物産の資金繰りは行き詰まり、15人全員リストラし、事務所を閉鎖しました。
銀行に対しては半年間のリスケをお願いしました。
そんな頃、一橋大学の先輩からハナマサのM&Aで、社長補佐の仕事が回ってきました。
同社のナンバー2として三菱商事OBが、突然心臓発作で急死しました。
その代わりを探していました。
ハナマサは海外でも事業展開していました。
よって、英語ができ、海外にも明るい商社マンを希望していました。
ハナマサには、平日10~17時までの勤務で、毎月の業務委託料が100万円でした。
私は同社に勤務前後と土日にマーキュリー物産の仕事をし、借金の全額返済に全力投球しました。
そのおかげで予定通り3000万円近い借金を全額返済できました。
借金を投げ出さず、全額返済したことが、その後経営コンサルタントの私の大きな力となりました。
小野社長は2年前に他界しましたが、面倒見の良い素晴らしい社長でした。今でも感謝しています。
◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆
ハナマサは良きにつけ悪しきにつけ小野社長の超ワンマンカンバニーでした。
私は社長補佐として、いろいろ助言も呈しましたが、聴く耳を持ちませんでした。
ハナマサの過去の決算書類をチェックしたら、これではいずれ資金繰りに行き詰まることが手に取るように分かりました。それを助言できるスタッフがいませんでした。
ハナマサは、その後M&Aで全日食が買収し、現在はジャパンミートに譲渡されました。
一方、ハナマサという業務スーパーを真似た神戸物産は現在1000店舗以上年商5500億円の東証上場一部企業まで成長しました。
同社の沼田会長は、キャッシュ・フローの良いFC展開しましたが、ハナマサは直営店にこだわり、キャッシュ・フローが厳しくなっていきました。ここに社長の器の違いを見ました。
◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆
小野社長に同行し、中国ハナマサの視察に行きました。
2008年の北京五輪前でしたが、共産党政権では、強制的に民家、事務所の立ち退きをさせられます。
期限までに立ち退かなければ、ブルドーザーで建物を強制的に壊されます。
ここには共産党の一党独裁政権の強みが凝縮されていました。
ホテルは5つ星で英語も通じ快適でした。しかし、一歩外に出ると貧民街があり、英語は通じず、格差社会を感じました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



最近のコメント