20歳の時に、朝日新聞を朝夕1年間配達して、朝日洋上大学生として米国遊学しました。総勢400名の大団体でした。
その翌年は、一人で旅行をしたいと思い、大学3年生の夏休みに17日間掛けて北海道を旅しました。
テントと寝袋のヒッチハイク、食費、交通費込み2万円で旅しました。宿の予約もせず、気の向くまま旅をしました。
その17日間の旅先で感じたことを詩に綴りました。
その頃、丁度通信教育でクラシックギターを始めました。
その詩に曲をつけ、1年半後にできあがったのが「北海旅情」でした。今から丁度50年前のことでした。全部で10番まであります。
1.汽笛高く響けば 北国の海
丘を一つ上れば 函館山
波止場近くに連絡船
遙か向こうはネオン街
旅は一人始まる函館の海から
2.青く光輝く積丹の海
遙か神威岬にたどり着けば
訪ね求めた神の岩
旅のカラスも飛んでいた
波よ永遠に静まれ 真夏の日本海
3.舟がひどく揺れてる荒波受けて
天に高くそびえる赤岩から
オロロン鳥が飛び交うよ
ほんのり向こうに焼尻が
北の海の楽園 夏の天売島は
4.南風が吹き荒れ 髪は乱れん
君は一人佇む桃岩に
背には気高き利尻富士
地蔵岩にも黄昏が
今日の礼文島にも静かな夜がまた
5.霧の美幌下れば和琴半島
熱い砂湯かぶれば一眠り
湖畔に伸びる山裾は
静かに眠る摩周岳
薄い霧が立ちこめ中の島も包む
6.山は白み明け方 水面に映る
厚い雲の山肌 波も立つ
遙か東は雄阿寒が
遙か西には雌阿寒が
一人湖畔さ迷う あてもない旅へと
7.釣り船の黒影1つ沖に
海の青さ目にしむオホーツクは
五湖を一人で眺めれば
遙か故郷偲ばれる
ウトロ沖に陽が落ち 知床は眠る
8.遙か襟裳岬に暫し佇み
波に打たれ心を慰める
馬の背に乗り悲心沼
百人浜は今日もまた
誰もいない砂浜 君と二人歩く
9.赤いレンが造りの道庁見ても
今は古くさびれた時計台
クラーク博士の北大の
ポプラ並木を馬が行く
夜の藻岩山から眺めた君の町
10.汽車は小沼大沼足は岸辺に
遙か彼方山裾駒ヶ岳
沼には赤い蓮の花
蓴菜沼にも今頃は
旅は終わる函館 港の見える丘で
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
旭川駅構内で寝袋にくるまって寝ていたら、早朝5時頃構内アナウンスがありました。「駅の構内にお休みのお客様、始発列車が到着するので、そろそろご起床願います」と一応お客様扱いされました。
基本的には宿はテントか寝袋でした。食事は飯ごうを持参して自炊でした。1回だけユースホステルに泊まりましたが、1泊700円、当時アルバイトの日給が700円の時代だったので、ずいぶんと高く感じました。
それ以外は親切な人がいて、5泊泊めさせていただきました。
移動手段は国鉄の周遊券で電車バスでしたが、それがない場所はヒッチハイクでした。
こういう貧乏旅行だったので、自然と共生し、感性が働き、詩ができたのだと思います。
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