日本人の精神的荒廃を考える

2013年12月 8日 (日)

「マーキュリー通信」no.2288【教育荒廃を促進させる豊島区の区民からかけ離れた考え方】

11月14日付「マーキュリー通信」奇人変人の異見-217「子供にとってポルノ漫画より有害な漫画「はだしのゲン」を取り上げました。

「マーキュリー通信」の内容を豊島区長宛てに、子供にとってポルノ漫画より有害な「はだしのゲン」を豊島区の全ての公共施設から撤去するように手紙を書きました。

昨日、豊島区政策経営部広報課長及び教育委員会事務局教育総務部教育指導課長から返事が届きました。

図書館の役割:ご指摘の通り過激描写はあるが児童であっても年齢に関わらず資料をいつでも手にとれるようにすることが図書館の役割。

教育委員会:学校図書館の役割は、児童生徒に判断力、思考力、批判力、感性をはぐくみ、生涯に亘って学び続ける態度を育成する重要な機能を持っている。
不適切な表現の指摘は理解できるが、表現の自由に基づき、学校の裁量に任せている。

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豊島区長宛ての手紙の内容は下記の通りです。

「はだしのゲン」第10巻を私も読みましたが、ポルノ漫画以上に有害図書です。国旗「日の丸」と国歌「君が代」を忌み嫌い、原爆投下の責任を天皇陛下に押しつけようとしています。大半が事実の歪曲と偏った極左思想に塗り固められています。「p20.pdf」をダウンロード

一例を挙げると、
p173「あの貧相なつらをしたじいさんの天皇、今上裕仁を神様としてありがたがり、でたらめの皇国史観を信じ切った女も大バカなんよ・・・」

p239「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけんやつはいっぱいおるよ。まずは最高の殺人者天皇じゃ。あいつの戦争命令でどれだけ多くの日本人、アジア諸国の人間が殺されたか」

p240「日本人の手で、天皇始め戦争指導者を裁く裁判をやらんといけんわい」

そして、p20には、
日本兵が、捕虜に対し、極悪非道の方法で殺戮するシーンや、婦女子を強姦し、妊婦の腹を切り裂くといった衝撃的なシーンが漫画でリアルに描かれています。

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はだしのゲンの内容はほとんど事実と相違しています。

そして、「表現の自由」の基に天皇に対する罵詈雑言の限りを尽くすことが果たして許されるのでしょうか。

子供たちに有害な図書であることは普通の良識ある人間なら直ぐに分かるはずですが、役所の建前に終始しているだけです。

豊島区では、子供の判断に任せていますが、判断力は子供にありません。

皆さんの子供に親としてこのような本を読ませたいですか?

日教組、左翼思想の蔓延は豊島区だけに限りません。7割の自治体が左翼思想で汚染されていると言われています。

はだしのゲンを読んだ子供は、日本の為に尊い命を落としていった兵士を軽蔑するでしょうし、日本の国に誇りを持てなくなるでしょう。

それが左翼勢力、日教組の狙いです。

彼らの目的は天皇打倒、日本国を滅ぼし、中国の傀儡政権となって共産主義思想を普及させるこ

とです。はだしのゲンを読めば一目瞭然です。

共産党の国会の議席はマイナーですが、左翼思想を普及させていることでは勝利していると言えます。

幸いなことに、左翼思想を受けた子供たち、はだしのゲンを読んだ子供たちの大半は共産党支持に回っていない事がせめてもの救いです。

私の年代、団塊の世代は学生の頃、共産党や社会党を支持していました。

今思うと、こんな恐ろしい政党を支持していたことの無知さ加減をただただ恥じ入るだけです。いかに不勉強だったかを思い知らされています。

豊島区からの回答:「131208.pdf」をダウンロード

「131208.pdf」をダウンロード

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2006年7月 7日 (金)

「マーキュリー通信」no.422【日本人の精神的荒廃を考える-16「国内総生産量より国内総幸福量を」】

 ヒマラヤの麓にある国家ブータンはチベット仏教を国境としています。ブータンは、国内総生産量(GDP)より国内総幸福量(GNH)を増大させるべきと考えています。その1つに伝統的な嫌煙国家の立場から思い切って禁煙国家宣言をしたそうです。

 さて、シリーズで「日本人の精神的荒廃を考える」を取り上げてきました。日本人もそろそろ経済的なGDP偏重一辺倒の愚かさに気付くべきです。
 そして、ブータンのようにもっと国内総幸福量(GNH)を増大させるような政策に転換していくべきではないでしょうか。
 
 その為の具体的指標を掲げ、政策を実行していくわけです。
 例えば、犯罪率の低下、現在3万人を超えた自殺者の減少、今や1000万人ともいわれているうつ病患者数の減少、離婚率の減少、生活習慣病者数の減少、寝た切り、認知症患者数の減少等々減少した方がベターの数字を探し、それらを減少させる努力をしていく。こういったことはやはり官が中心となって実施していく仕事です。

 又、核家族から3世代同居家族の推進、地域コミュニティによる防災、防犯、安全、地域住民同士の触れ合い、お年寄りを大切に、労る地域コミュニティを促進する。

 一方、本シリーズで取り上げた現代人を蝕む3悪の追放運動、即ちポルノの青少年からの追放、サラ金の一般庶民からの追放、禁煙運動による健康回復等こういうことを地道に一つ一つ実施していったら、日本はもっともっと住みやすい国になっていくことと思います。

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2006年6月30日 (金)

「マーキュリー通信」no.414【日本人の精神的荒廃を考える-15「私の理想郷 生活者大国カナダ」】

「生活者大国カナダ:20年前のカナダに現代の理想郷を見る」

 私は1980年から84年までカナダ三井物産?潟Jルガリー店に新規炭鉱開発等の仕事で駐在していました。カルガリーは、石油、石炭、天然ガスの一大拠点で、カナダの太平洋の玄関口バンクーバーから東へ約700kmの地にあり、カナディアンロッキーの東側に位置する人口60万人のアルバータ州の中核都市です。アルバータ州はカナダの西から数えて2番目の州で、天然資源が豊富で、当時カナダで唯一州税のかからない大変豊かな州でした。
 私はカナダ駐在で多くのことを経験しましたが、その中で今でも印象に残っているのが、カナダ人のライフスタイルです。

 私とお付き合いのあったカナダ人は石炭を中心としたエリートビジネスマンでした。彼らは、一生懸命仕事をしますが、プライベートライフも大事にします。もし、残業になりそうな場合には、早朝7時ごろ出勤して仕事を片付けます。夜は必ず家族と一緒に食事をとります。会社から自宅まで車で30分程度ですので、6時頃には帰宅します。カナダ人との付き合いは、夜酒席を共にすることはありません。たいてい、昼食を取りながらのミーティングです。又は、夫婦単位で家庭の食事に招待したり、されたりといった感じです。

 週末の過ごし方は、土曜はカナディアンロッキー観光を中心としたレジャー、日曜は協会に行く。カナダ着任当初、日曜日にショッピングセンターが閉まっているので驚きましたが、日曜日は協会に行く聖なる日(holy day)なのです。

 又、20日間の年間有給休暇は夏と冬にそれぞれ2週間の休暇をとって消化します。もし、有給休暇が残ったら雇用者側には買取義務があります。その為、カナダ三井物産?鰍ナも年度末にはカナダ人従業員に対し、休暇の消化を促進させます。日本人スタッフにも20日間の有給休暇がありますが、当然未消化で、休暇の買取もありません。カナダ人にはこれ以外に、病気の場合の傷病休暇が別途あります。

 一方、25年前の当時、どんな中小企業、零細企業も完全週休2日制。当時は景気がよく、石油会社を中心に週休3日制、土曜日が半ドンのところも結構ありました。
 カナダ人の所得は、当時でも日本人より少なめでした。しかし、中流の上クラスのカナダ人は、会社から車で通勤30分、200?u程度の一戸建てに住んでいました。そして、仕事も一生懸命やると同時に、プライベートライフも大切にしていました。

 女性の場合、子育てが終ると、ボランティア活動に参加する主婦も多く、男性の場合には、会社を定年退職してからボランティア活動に参加するケースが多いようです。尚、カナダでは当時でもバリアフリーがハード、ソフト面でも徹底しており、老人、身障者、妊婦等弱者が住みやすい社会でした。カナダ人は弱者に対して、積極的に手を差し伸べようとしていました。もし、目の前を車いすの人が通ったなら、直ぐに手をさしのべようとします。

 25年前のカナダには、携帯電話もなければ、パソコンもありません。ビデオデッキがやっと出回り始めた頃でした。 しかし、現代の日本と比べ、生活の豊かさでは物心両面でずっと上でした。私は、25年前のカナダにユートピアの原型を見ました。カナダ人のような生活をすることが今でも私の理想型です。

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2006年6月27日 (火)

「マーキュリー通信」no.412【日本人の精神的荒廃を考える-14「マスコミの罪」】

 本日テレビのスイッチ(NHK)を入れたら、21歳の女子大生誘拐事件が何度も報道されていました。女子大生K子さんは無事救出されたのですが、記者からK子さんへのインタビューが行われ、当惑しているK子さんの映像が何度も映し出されていました。他のテレビ局もワイドショー的に放映していました。

 このようなマスコミ報道が個人情報保護の面からもプライバシーの侵害に当たることをマスコミはもっと配慮すべきです。悪党から見ると、K子さんの家庭事情が見えてきて、次の犯行動機を与えます。新聞(日経)には事細かに事件の詳細を時系列的に書いてありました。これなども悪党側からすれば、今回誘拐事件が失敗に終わった理由をチェックすることができ、次の犯行ではしくじらないようにしようと考えます。

 この種の事件は、簡単に触れるだけで充分です。それが被害者への配慮でもあります。一方、この種の事件が日常茶飯事的に発生します。マスコミはこぞってワイドショー的に報道します。凶悪事件を電波を通じて流すと、その悪い波動が電波を通じてお茶の間に流れます。お茶の間は悪い波動で充満し、その悪い波動と呼応した人間が更に事件を起こす引き金・誘因となります。

 仮に我々が凶悪事件に巻き込まれたと仮定してみてください。その場の雰囲気は嫌なムード、波動に包まれます。要はそれがお茶の間に電波を通じて流れて来るということです。「お茶の間」が「お茶の魔」と化してしまうわけです。
 仮に、私たちが教会で賛美歌を歌っているシーンを想像してください。そちらの波動は厳かで、良い波動なはずです。

 マスコミは、このような悪い波動を無意識に的に流し、国民に害悪を垂れ流していることをもっと自覚すべきです。自らが電波公害の発生源となり、凶悪事件の岡棒を担いでいることを認識すべきです。
 私がシリーズで「日本人の精神的荒廃を考える」を発信してきましたが、マスコミもその責任の一端があることを本日の報道状況を見て改めて感じた次第です。

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2006年6月26日 (月)

「マーキュリー通信」no.411【日本人の精神的荒廃を考える-13「理想の家庭像 サザエさん一家」】

人間の幸福って何だろうと考えた時に、いろいろな回答がでてきます。しかし、これだけは外せないモノといえば家族の幸福ではないかと思います。
 戦後核家族化が進行し、一番失われたモノの1つに家族の絆、ぬくもり、ふれあい、良さ、そしてそういったモノの中から平凡な家庭生活の中に垣間見る幸福ではないでしょうか。

 昭和30年代の日本を取り扱った映画「Always3丁目の夕日」が大ヒットしました。私の小中学生の頃です。私の子供の頃は、今と比べ家庭電化製品は少なく、携帯電話もパソコンももちろんありませんでした。しかし、心の豊かさは断然上だったと思います。どちらの時代がよいかといえば、私は迷わず私の子供の頃をとります。

 私は毎週日曜日マンガ「サザエさん」(フジTV18:30~19:00)を楽しみに見ていますが、昭和30年代のほのぼのとした日本の家庭像、家族を垣間見て、見た後で心が温まってきます。家族が幸福なら、地域が幸福になります。サザエさん一家のご近所は善人の固まりのようだし、うらやましい近所づきあいです。もし日本中がサザエさん一家のようだったら、最近多発する凶悪犯罪など無縁の社会となるでしょう。

 難しい幸福論を定義したり論じる前に、まず家庭のユートピアを実現する。政府としては、これ以上の核家族化の進行にブレーキをかけ、大家族制にもっていくような制作にシフトしていけば、日本はもっともっと暮らしやすく、平和で安全な社会になっていくでしょう。そうすれば少子化問題にも自ずとブレーキがかかっていくことでしょう。

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2006年6月19日 (月)

「マーキュリー通信」no.404【日本人の精神的荒廃を考える-12「心の教育の必要性」

 「マーキュリー通信」にて「日本人の精神的荒廃を考える」をシリーズでお伝えし、結論的には「武士道の精神+仏教の教え」を日本人全体が見直しし、「心の復活」が重要と説いてきました。

 しかし、これには教育の部分が極めて重要です。いくら政府やマスコミ、識者が叫んでも、残念ながら現代の日本人にはそれを受け入れる土壌が乏しくなってきています。

 私が受けてきた教育を振り返った時に、やはりこの精神的な面、心の教育が欠落していました。 小学生(調布第一小学校)の時に、クラスに小児麻痺のK君がいました。背は高く、小児麻痺独特のひょろひょろとして、くにゃくにゃといった感じでした。又、普通の子供と同じようにしゃべることができませんでした。
 クラスの子供達は、K君の仕草を見て面白がりました。そして、ドッジボールで相手を何度も当てて良い「何歩当て」ではK君がいつも標的となりました。これを見て担任の先生は子供達を叱りませんでした。 又、学校には知能指数の遅れている児童だけを集めた特殊学級がありました。普通の子供達は同様に特殊学級の児童を好奇の目で見、バカにしました。この時も先生は特に叱りませんでした。 私は、知能指数の遅れている子供や肉体的ハンデを負っている子供を見ると、小学生の頃のK君を今でも思い出し、心が痛みます。「何故あの時先生は我々児童を叱ってくれなかったのか。何故、これらの生徒の痛みを理解するように指導してくれなかったのか。何故、労ってあげるように指導してくれなかったのか」と今でも思います。 「心の教育」といっても小学生には人間として必要なこの程度の基本的なことを教えれば良いと思います。相手の痛みが分かるようなそんな教育でよいと思います。

 中学(調布中学)に進学してからは、風紀、しつけの部分がかなり厳しかったです。「靴は上履き、下履き共にかかとを踏むな。男子生徒は坊ちゃん刈りにしろ」とか箸の上げ下ろしまで厳しく指導されました。ちょっと行き過ぎのところもありましたが、子供の頃はこのくらい厳しい方が却って良いかもしれません。但し、しつけは厳しかったのですが、「何故?」の部分がないのです。ただただ理屈抜きにルールに従えでした。そして、心の教育、精神的なことは教わりませんでした。

 高校(都立神代高校)では、倫理の授業がありましたが、表面的なことを学んだだけでした。哲学なら、ソクラテスやプラトンのもっと根元的なところを学びたかったのですが、無味乾燥で興味を持てませんでした。

 大学(一橋大学)では、「徹底的に考える」ということを学びませんでした。大学受験まで○×教育で来たわけですから、「徹底的に考える」力を付けたかったのですが、その部分が抜け落ちていたような気がします。

 私の受けてきた教育に関しては、まずまず合格点だと思います。70点くらいでしょうか。行き過ぎた偏差値教育に関する批判がありますが、団塊の世代の私たちは一番厳しい受験戦争を体験してきましたが、それほど大変に思いませんでした。寧ろ、若い頃、何でも暗記でき、何でも吸収できる年代に詰め込み教育をする訓練を積んできたお陰で、今日の基礎があるわけです。脳のトレーニングができたわけです。
 抜け落ちた部分としては、「心の教育」、そして大学時代の「徹底的に考える習慣」、この2つだけは現代の教育に付け加えて欲しいと思います。後は枝葉の部分、教育関係者の間で、じっくりと練って頂ければと思います。

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2006年6月11日 (日)

「マーキュリー通信」no.398【日本人の精神的荒廃を考える-11「仏教と資本主義」】

 宗教と資本主義の関係に関しては、20世紀の偉大な思想家マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が有名です。

 先日の「マーキュリー通信」でご紹介したとおり、初期の資本主義はプロテスタントの倫理が反映され、職業はcallingとして天職を全うすべく神から与えられた才能(gift)を発揮することがそもそもの基本でした。
 ルターと並んで有名な16世紀のフランスの宗教革命家カルヴァンは、「神のために人間が存在するのであって、人間のために神があるのではない」という人間中心の世界観から神中心の世界観へとコペルニクス的転回を果たしました。 経済は神の宇宙計画実現のための手段であり、資本主義を通じ得られた利潤は神の宇宙計画実現に奉仕するものだと主張しました。

 さて、資本主義というと日本では明治維新以降と一般的には考えられています。しかし、日本にも奈良時代に既に資本主義の精神が源流が流れていたと「仏教と資本主義」(新潮新書714円)の著書長部日出雄氏は語っています。

 奈良の大仏は聖武天皇が建立したことで有名です。しかし、その陰で奈良の高僧行基菩薩の協力無くして奈良の大仏はできなかったといわれています。 長部氏は、最澄や空海を押しのけて、行基菩薩は我が国の仏教史上最初で最大の巨人であると力説しています。
 行基菩薩に関しては、先日のNHK「その時歴史が動いた」で、奈良の大仏建立の陰の立て役者として賞賛していました。 大仏建立に際し、当初は聖武天皇もこれまでの通例に習い、民衆から税の取り立てと役務の提供を課しました。 しかし、度重なる飢饉で民衆の生活は疲弊し、一家離散の民衆も多数いました。聖武天皇からの詔勅に民衆は反発し、大仏建立は思うに任せませんでした。
 
そこで、仏教の民間普及伝道をしていた行基菩薩に白羽の矢が立ちました。 行基菩薩は、宗教の指導者としてのカリスマ性だけでなく、合理的な技術者、経営者、政治家としての天分も豊かに備わっていました。 行基菩薩は、道路や橋の建設、田畑の開墾等に民衆の力を借りました。彼に従う民衆は、菩薩になるための行と信じてよく働くので、池溝の掘削も、道路の建設も、橋の架設も 見る者が驚くほどの早さで進みました。 当時、社会主義的な土地制度の下で、農民の労農意欲が低下していましたが、「資本主義の精神」と民間活力が導入されたことで、農地は著しく拡大されていった。

 そこで、聖武天皇は行基菩薩に習い、大仏建立に際しては、税金として役務を課すのでなく、民衆の役務の提供に対し、政府は対価を支払いました。又、行基菩薩のお陰で仏に対する民衆の信仰が根付き、尊いものに対し自分の力を喜んでお布施させて頂くという民衆の気持ちが力となって、大仏建立は予想以上の早さで完成しました。 ここに資本主義の原型が見られます。日本の資本主義の原型も、欧州と同じで、仏のお役に立つという資本主義でした。

 当時の政府は、行基菩薩のやり方を否定しており、当初は行基菩薩を罪人扱いしていました。しかし、民衆の信仰心を活力とし、インフラ整備、そして仏教を布教していくという行基菩薩のやり方とその力に脱帽せざるを得ませんでした。 そして、聖武天皇をして、「ここに天平15年、菩薩の大願を発して、紗那物の廬舎那仏(るしゃなぶつ)の金剛像一体をお造りすることにする。国中の銅を尽くして像を鋳造し、山を削って仏堂を構築し、仏法を全宇宙に広めて、これを朕の智識(仏への帰依の証明)としよう。そして最後には朕も衆生も等しく仏の功徳を蒙って、共に仏道の悟りを開く境地に至ろう。以下省略。」ということを言わしめました。 上記の詔勅の中で、「最後には“朕も衆生も等しく”仏の功徳を蒙って、共に仏道の悟りを開く境地に至ろう。」という下りは、圧巻です。当時の社会で、天皇と民衆が仏の基では等しいという詔勅を発した聖武天皇の人間性にはただただ敬服するだけです。

 民間の僧侶が時の天皇を動かした行基菩薩の凄さと、NHKで「その時歴史が動いた」で取り上げるくらい画期的な出来事といえます。NHKでは資本主義の精神がそこに流れているとは触れていませんでしたが、まさに仏に対する信仰をベースとした日本型資本主義の原型ができたことは、日本におけるコペルニクス的転回といえるかもしれません。

 私が、シリーズで「日本人の精神的荒廃を考える」を取り上げてきましたが、21世紀の「あるべき日本」を考える際の貴重な歴史的出来事といえます。
 今週、村上ファンドの村上氏が逮捕されましたが、ホリエモン同様日本型資本主義精神の原型の爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいです。

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2006年6月 2日 (金)

「マーキュリー通信」no.393【日本人の精神的荒廃を考える-10新渡戸稲造博士の「武士道の精神」に学ぶ】

 本シリーズで度々武士道のことを取り上げてきました。日本人が精神的復興を取り上げるなら是非武士道の精神を学んで欲しいと。これは明治以降の多数の経営者、識者、偉人等が口を揃えて唱えています。

 さて、ここでは武士道の中でも一番ポピュラーな「新渡戸稲造博士の武士道」に関し、簡単に触れておきたいと思います。詳しくは、同博士の著書並びに解説本が多数出版されていますので、是非関連書籍を読んでみて下さい。日本人の精神の原点に触れると同時に、私たちの祖先に対する畏敬の念が沸いてくること必定です。 因みに私が読んだ本は、「武士道」(新渡戸稲造著、奈良本辰也訳、解説 三笠書房、1130円)、「新渡戸稲造 美しき日本人」(岬龍一郎著 KKベストセラーズ、1200円)です。

 新渡戸稲造博士は、著名なベルギーの法学者ラブレー氏から、「日本では宗教教育が無くてどのように道徳教育をしているのか?」といぶしかしげな質問を受けました。 博士は、その時答えに窮したが、日本には学校で道徳教育を教えなくても、「武士道」という精神が脈々と流れていることに気付いた。「武士道」は日本人の壮大な倫理体系の要の石であることが判った。この「武士道」に関し、深く研究し、出版することとなった。 「武士道」は一言で言えば、「騎士道の規律」であり、「武士階級の高い身分に伴う義務」であった。その源泉は孔子の教えにある。
 この基本精神に加え、仏教より、運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前にした時の禁欲的な平静さ、生への侮蔑、死への親近感などをもたらした。

 一方、仏教で不足している部分を神道で補った。例えば、主君に対する忠誠、先祖への崇敬、そして孝心などの教義が神道によって教えられた。
 「武士道」には、「義」:武士道の光り輝く最高の支柱「勇」:いかにしてハラを錬磨するか「仁」:人の上に立つ条件とは何か「礼」:人と共に喜び、人と共に泣けるか「誠」:なぜ「武士に二言はない」のか?「名誉」:苦痛と試練に耐えるために「忠義」:人は何のために死ねるかこのような徳目がある。「武士道」は日本の活動精神、そして推進力である。自己の名誉心はこれらの徳目から来ており、これが日本発展の原動力である。

 現在、「愛国心」という言葉を巡り、甲論乙駁だが、何か皮相的な意見を戦わしているにようで空しく思えます。
 新渡戸博士は、日本人以上に忠誠で愛国的な国民は存在しないと主張しています。しかし、これは新渡戸博士が生きていた頃の日本の状況であり、現代の日本人に当てはまらないかもしれない。しかし、日本人の「武士道」は800年に亘り生き続けており、戦後60年の道徳軽視の教育、風潮によりその精神が失せつつあるといっても、これを再び復活することは、日本人の心としての種火に再点火すれば可能ではないかと思います。 但し、新渡戸博士は、日本人が深遠な哲学を持ち合わせていないことは、武士道の限界であることも指摘している。

 私自身、「日本人の精神的荒廃を考える」シリーズの結論部分として、今まさにこの「武士道」の精神の復活こそ重要と考えます。そして、もう1つ仏教的精神を再度深く付け加えることで、日本人に物事を深く考える習慣を付けさせることになると考えます。私自身、仏教の教義も勉強していますが、八正道(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)だけを深く勉強しただけでも、物事を深く考える習慣が付いてきて、魂が燻習され、人間力がアップしてきます。

 もし、日本人が「武士道」+仏教の神髄を学び、実践していったなら、日本人の精神的荒廃は死語となり、日本に永遠の繁栄が訪れ、世界から尊敬される国となり、日本は世界文化文明の中心となることは間違いないでしょう。

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2006年5月29日 (月)

「マーキュリー通信」no.391【日本人の精神的荒廃を考える-9 「国家の品格」】

 現在数学者藤原正彦先生の「国家の品格」(新潮新書714円)が200万部を超す大ベストセラーとなっています。

 私は、シリーズ「日本人の精神的荒廃を考える」で戦後の日本人の精神的荒廃を憂えている一人です。しかし、全てネガ一色で書いているわけではなく、又、私自身基本的にはプラス思考の人間なので、その中に希望の光も見いだし、積極的な提言も行っています。「国家の品格」といった書籍が売れていること自体、現在のような状況はいけないと思っている日本人が少なからず存在している証拠で、日本人の精神的な良さはまだまだ残されているわけです。

 さて、藤原氏は、数学者らしく、近代的合理的精神の限界を指摘しています。「論理的」といった言葉の危うさをあげています。論理だけの世界で、国や社会、産業が破綻してきた例は枚挙にいとまがないことを実証しています。 独裁者ヒットラーですら、ドイツ国民の正式な選挙で選ばれ、国会の多数決の原理に従い首相に選ばれたわけです。そこには論理的矛盾は無かったそうです。

 日本の最近の例では、「英語教育」を挙げています。現在9割の小学校で英語教育が実施されていますが、これも小学生から英語を教えれば、より早く英語が上達するという論理に基づいており、論理的には一見問題がなさそうに見えます。 しかし、藤原氏は、日本人として日本の歴史、文化等をしっかりと理解していないうちに小学生に英語を教えるのは本末転倒の論理であり、日本を滅ぼす恐ろしい教育改悪になりかねないと憂えています。こういう論理も成り立つわけです。

 日本は明治以来自由、平等、民主主義を取り入れてきました。しかし、自由と平等は本来相矛盾するものです。人間を全く自由にさせたら、格差が拡大し、平等とはほど遠いものになっていきます。 一方、民主主義もこれほど危ういものはない。民主主義とは、本来国民が成熟していて初めて成り立つものだが、国民は永遠に成熟しない。
 従って、真のエリートにより政治経済社会をリードしていくことが望ましい。明治維新を見れば、ごく少数の国を思うエリートが日本を引っ張ってきたことでもそのことは証明されている。

 真のエリートには2つの条件が求められる。 1つ目は、文学、哲学、芸術、歴史、科学といった一見何の役にも立たないような教養を身につけていること。そうした教養を基に、庶民とは比較にならない圧倒的な大局観や総合判断力を持っていること。
 2つ目は、いざとなれば、国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があること。その意味では、東大卒を中心とした官僚は真のエリートとはいえないわけです。

 さて、藤原氏は、今日本人に求められているものは武士道の精神の復活であることを力説しています。武士道の精神の中核として側隠(ソクイン)をあげています。側隠とは、弱者、敗者、虐げられた者への思いやりです。人々に側隠の情が充分あれば、差別など無くなり、平等というフィクションも必要なくなる。差別を本当に撲滅しようとするなら、平等という北風でなく、側隠という太陽でもって民に接することです。 その証拠に、「平等」の旗手米国では貧富の差が非常に大きいのです。

 最後に、日本は普通の国を目指すのではなく、「異常な国」を目指せと藤原氏は力説する。普通の国とは結局米国型の普通の国を指すわけだが、そうではなく、藤原氏が理想とする「国家の品格」をもった異常な国を目指せと言う。
1.独立不羈の精神 米国の属国から脱皮し、自らの意志に従って行動できる独立国を目指す。世界に誇る日本の美しい情緒や形に触れることで、戦後失われた祖国への自信と誇りを取り戻す。
2.高い道徳心 昭和の初期の頃まで、日本に滞在した外国人は異口同音に日本人の道徳心の高さを称えていたそうです。
3.金銭至上主義に冒されていない美しい田園、情緒のある国となる4.天才の輩出 その為に、一見役に立たないと思われるような学問、芸術、文化等から精神性を学ぶ土壌を涵養することが重要。こういう精神的風土から真のエリートを輩出する。

 日本は、金銭至上主義を何とも思わない野卑な国々とは一線を画し、国家の品格をひたすら守るべきだ。 大正末期から昭和初期の駐日フランス大使詩人ポール・クローデルは、大東亜戦争で日本の敗戦が濃厚になった頃、「日本人は貧しい。しかし、高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」と言ったそうです。

 日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務といえる。ここ4世紀ほど世界を支配してきた欧米の教義はようやく破綻を見せ始めた。時間はかかるが、世界を本格的に救えるのは、日本人しかいないと藤原氏は最後に締めくくっています。
 皆さんもどうかこの名著を味読し、日本人としての自信を回復し、日本民族として生まれたことに誇りを持って欲しいと思います。

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2006年5月23日 (火)

「マーキュリー通信」no.386【日本人の精神的荒廃を考える-8 ソニー創業者故井深大氏の「心の教育」に学ぶ】

 ソニー創業者故井深大氏の「心の教育」(ごまブックス1365円)という本が復刊し、書店で目にしたので購入しました。 井深大氏といえばソニーの創業者のイメージしか残っていませんでしたが、最近ゼロ歳児教育始め教育者としての井深大氏の一面を知り、人間としても素晴らしい方だと再認識しました。
 詳しくは井深大氏の名著を是非味読して頂けたらと思いますが、本書の中で私が共感した部分の一部をピックアップさせて頂きました。

 欧米の教育は、合理主義一辺倒で知識の習得を第一義と思っていました。しかし、ヨーロッパでは、子供は神の手から親に教育を委ねられたという考え方があります。それだけに重要な使命を帯びた母親は、神の代理人としての威厳と権威を求められます。 母親の厳しいしつけを受けたヨーロッパの子供達は、長じるに従い、教会の日曜学校などで宗教的な倫理観や道徳観念を繰り返し教育されます。 一見して合理主義一辺倒に見える西欧の学校教育も、日常的な宗教教育が基盤にあって初めて成立しているわけです。 西欧社会の全体的な教育システムにおいては、学校教育と家庭や教会での宗教教育とは、切っても切り離せない相補的な関係にあります。幼児期における宗教教育によってしっかりした人間性を形成し、その上に合理的な知的教育を行うこと、これが西欧の教育システム全体が理想とする本来の教育プランでした。

 かつての日本人は、大家族制度の中で厳しくしつけられることによって、人間形成の基礎をたたき込まれ、寺子屋の徳育教育によって、人が禽獣にならないための人間性を教育されていました。そうした教育システムの成果が、親孝行や恩返しといった人間の普遍的価値を日本人の国民性として植え付けることになった。「思いやり」という言葉も、まさにこうした日本の国民性を代表する言葉でした。

 ところがこうした教育理念は、明治以降の「追いつけ追い越せ」を目標に定めた教育の中で、次第に忘れられていきました。特に戦後は、家族制度が崩壊し、しつけが学校教育に吸収され、形骸化していった。その結果が今日見られる様々な教育問題であり、世界一「思いやり」のない国民だという批判が出てきました。

 明治以降の教育は、知的教育という半分の教育しか追求してこなかった。もう半分の心の教育、人間性教育としての「人間作り」を置き忘れてきた。「教育とは何か」という教育本来の目的を真剣に問い、後半分の心の教育に目を向ける必要があると、井深大氏は声を大にして主張しています。

 終戦の詔勅を書いた安岡正篤先生も、江戸時代の人間性教育が明治以降忘れ去られ、人間性を欠いた為政者に取って代わられるようになった。日進日露の戦争まではまだ人間性教育の遺産が効いていたが、大東亜戦争の時には殆ど失われ、日本を間違った道へと突き進むことになったと主張されています。

 名著「世界が裁く東京裁判」の著者佐藤和男先生も、GHQが日教組を作り、日本の教育をだめにした。同じ事を安岡正篤先生も主張されています。

 シリーズ「日本人の精神的荒廃を考える」の中で私が一番強調したい事は、置き去りにされた「心の教育」を取り戻すこと。これなくして日本の教育改革はありえません。このような基本中の基本を抑えていないため、「ゆとり教育」といった間違った改悪を平気でやってしまう。 今は、英語教育を小学校からさせるとか、六三制の見直しとかいった議論が出ていますが、「日本人の精神的荒廃」の根本原因に「心の教育」を忘れていたことだと認識し、このことを真剣に議論して欲しいと思います。

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